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2026年06月30日
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イベントレポート 建築セミナー2026

Vol.1 保存・復原・更新による近代建築の継承 全日本海員組合本部会館が示す、モダニズム建築の未来

2026年6月20日(土)、小松ウオール工業株式会社主催の「建築セミナー2026 Vol.1」を東京都港区六本木の全日本海員組合本部会館(以下、本部会館)にて開催しました。

今回のテーマは「保存・復原・更新による近代建築の継承」。
1964年に建築家・大髙正人によって設計された本部会館は、日本のモダニズム建築を代表する作品のひとつです。竣工から60年を迎えた建物は、2024年に大規模改修を終え、新たな姿で再生されました。

講師を務めたのは、改修設計を担当した野沢正光建築工房代表取締役の石黒健太さん。講演と建築見学会を通じて、「何を残し、何を復原し、何を更新するのか」という改修の考え方や、近代建築を未来へ引き継ぐための具体的な手法について解説いただきました。
当日はあいにくの梅雨空でしたが、建築関係者を中心に40人以上の方が参加しました。

本レポートでは、講演内容と見学会の様子を振り返りながら、本部会館の魅力と、本プロジェクトが示す建築継承の可能性について紹介します。

建築セミナーが目指すもの

▲講師を務めた野沢正光建築工房代表取締役の石黒健太さん

建築セミナーは、建築に携わる皆さまと共に、建築のあり方やこれからの建築がもたらす可能性について探求する場として2025年に始動いたしました。 2年目を迎える2026年の初回となる今回は、講演だけではなく、実際の建築空間を歩きながら学ぶ見学会がセットで行われました。

会場となった本部会館は、単なる歴史的建築物ではありません。現在も全日本海員組合の本部として使われ続けている現役の建築です。
だからこそ今回のテーマである「保存・復原・更新」は、過去を保存するだけではなく、これからも使い続けるための実践として語られました。

前川國男から大髙正人へ 日本モダニズム建築の系譜

▲六本木通り側から見た外観

1923年生まれの大髙正人は、前川國男建築設計事務所で経験を積み、東京文化会館の設計にも深く関わった建築家です(東京文化会館竣工時、大髙正人は38歳)。

セミナー冒頭では本セミナー企画委員長の佐藤由巳子さんから、東京文化会館と本部会館の空間構成の共通性についても紹介されました。
佐藤さんの話によると、「大髙さんが目指していたのは建物そのものではなく、人が集まる外部空間に開かれた建築をつくることでした」といいます。
前川國男が日本に導入したモダニズム建築は、合理性や機能性を重視する一方で、人々が集い活動する公共空間のあり方を追求しました。
その思想を受け継いだ大髙正人は、さらに建築と都市との関係へ視野を広げます。
ピロティ、エントランス、吹抜空間、サンクンガーデン、地下大会議室へと続く空間構成は、大髙正人の「外部空間に開かれた建築」という思想を体現しています。

▲地上階から地下1階ホワイエ、地下2階の地下大会議室を眺める

建替えではなく改修へ 転機となった2016年

▲改修前の外観(投影資料より)

本部会館は、戦後の海運業の発展とともに誕生しました。
全日本海員組合(以下、海員組合)はもともと港町・神戸に本部を置いていましたが、船員の労働環境や権利を守るため、国の政策決定機関に近い東京へ活動拠点を移します。
その新たな象徴として建設されたのが、この本部会館でした。
組合員たちの拠出によって建設されたこの建物は、単なる事務所ではなく、海で働く人々の思いが込められた活動の拠点だったのです。

しかし竣工から半世紀以上が経過し、一時は建替えも検討されていました。
一方で建替えには法令や条例上の課題もありました。現行法規で建替えを行うと、現在の規模や床面積を維持することが難しく、組合活動に必要な機能を確保できなくなる可能性があったのです。

転機となったのは2016年に国立近現代建築資料館で開催された「社会と建築を結ぶ-大髙正人の方法」展でした。
展覧会準備のために展覧会実行委員が本部会館を訪れたところ、築50年以上経っている建築とは思えないほど良好な状態で使われ続けていることに驚きます。
その展覧会のイベントとして、本部会館地下大会議室でシンポジウムが開催され、多くの建築関係者が建物の価値を再認識しました。

▲2017年のシンポジウムの様子を説明する石黒さん

これをきっかけに海員組合側も改修の可能性を模索し、大高建築事務所出身である野沢正光(野沢正光建築工房)へ相談。2017年から本格的な改修計画がスタートしました。
こうして本部会館は、建て替えではなく改修による建物の継続利用という選択肢へと向かうことになりました。

60年間使い続けられた建築

▲ロビー部分吹き抜けの階段

本部会館が良好な状態で残されていた背景には、海員組合による日々の維持管理がありました。

真鍮製の見切りや木製の手摺などの仕上げが今も美しく保たれている様子を見ることができます。長年使われてきた建物でありながら、丁寧に手入れされていました。 石黒さんは「船員にとって船を丁寧に維持することは当たり前のことだと海員組合から教わりました。その姿勢が建物にも受け継がれていたのだと思います」と語ります。
船を安全に運航するためには、日々の点検や清掃、細やかなメンテナンスが欠かせません。

その姿勢が本部会館にも反映され、60年という年月を経てもなお高い保存状態を維持することにつながっていました。
今回の改修は建築家や施工者だけの成果ではなく、長年にわたり建物を守り続けてきた海員組合の人々の営みの上に成り立っています。

保存・復原・更新 改修プロジェクトの考え方

石黒さんは今回の改修について、「昔の姿に戻すことや今のままを残すことが目的ではありませんでした。大髙正人の思想を継ぎ、建物をこれからも永く使い続けられる状態にすることが目的でした」と説明しました。

改修では「性能の今日化」「建物の長寿命化」「本部会館の歴史の継承」という三つの考え方を同時に実践しています。
古くて良い建物だからといってそのまま我慢して使うのではなく、現代のオフィスとして必要な性能を確保する。10年、20年延命させるための改修ではなく、長期間使えるように徹底的に改修工事を行うこと。そして、本部会館の原設計のどこを残して、どこを復原するか、また、どこを更新するかすることを決める。それぞれを多層的に、同時に行うことが本プロジェクトの大きなテーマでした。

屋上から見える60年の都市の変化

地下2階の地下大会議室での講義の後は、石黒さんと、同じく野沢正光建築工房白岩透さんの2つのグループに分かれて、見学会がスタートしました。

最初に訪れたのは屋上です。現在は六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどの超高層ビルが周囲を囲んでいますが、竣工当時はこの屋上から東京湾を見ることができたといいます。

本部会館は高さ20m制限の中で6階建てになっていますが、将来的に8階建てまで増築できるよう計画されていたことを紹介。2層分を上に増築しても耐えられるように設計されていたため、山辺構造設計事務所による耐震診断の結果、大掛かりな耐震改修をしなくても建物を残せると判断できたと説明されました。

▲冷温水式の全館空調方式から電気式の空調システムに改修。空調設備機器の配管等は、屋上のデッキの下で横引きされています。

5階会議室 保存と更新の両立

▲5階会議室内部

5階会議室フロアでは、改修によって実現された現代的なオフィス環境を体感することができました。もともと各階に分散していた会議室機能を集約し、来客対応も含めた会議室フロアとして再編された空間です。天井高は改修前と同じ2,400mmを維持しながら、開放的な空間が整備されていました。

内部環境の整備について石黒さんは以下のように語ります。「外観は基本的にあまり大きく変えたくなかった。変化の激しい街の中でこの表情をずっと保ってきた建物なので、その印象を残す計画としました」。
そこで採用されたのが、見付け寸法を抑えた新しいスチールサッシと真空断熱ガラスです。 0.1mmの真空層を持つ高性能なペアガラスを採用することで断熱性能を大幅に向上させながら、外観は竣工時のシャープな印象を維持しています。
さらに室内側には木製建具を設け、障子のような二重構成とすることで温熱環境の改善と意匠性の両立を図っています。

また、各フロアでは耐震補強の工夫も見ることができます。
建物の4隅の床、2方向からのキャンチスラブの先端となる窓際のコーナー部分にY字型の鉄骨補強材を設置しています。この補強材はサッシの方立と同じ19mmのフラットバーで構成し、1階から最上階まで連続して配置することで、地震時の縦揺れに対する安全性を向上させています。
石黒さんは、「もともとの構造計画や設計に込められた思想に敬意を払い、できるだけ構造補強が目立たないよう計画した」と語ります。

大髙正人が生み出した自由な空間 二つのコアとジョイストスラブ

▲2階執務室で説明する石黒さん

本部会館の特徴の一つは、青木繁による構造設計にもあります。
3,270mmという低い階高の中でできる限りの天井高を確保するため、各階にはジョイストスラブが採用されています。ジョイストスラブは梁と床を一体的に構成する構造システムで、建物の軽量化と大スパン化を可能にします。
両端に配置された二つのコアと、その間を床がつなぐ構造を採用することで、内部には柱の少ない大きな空間が実現されました。
石黒さんは、「都市の変化に対し柔軟に対応可能なよう、構造が少ないがらんどうな空間が計画されました」と解説しました。

また、ジョイストスラブの規則的なリブ(小梁)が生み出す天井の表情は、本部会館を象徴する構造計画のひとつです。竣工時、また改修前、各階全て天井が貼られ、ジョイストスラブは見えない状態でしたが、設計チームは、執務室の階のジョイストスラブを表しにする方針を選択しました。

▲ジョイストスラブと空調配管カバー

ジョイストスラブの表しは意匠的な効果と合わせ、天井高を上げることによる気積の確保、排煙の効果時間の延長による避難安全性の向上、音の反射の低減など、オフィスとしての機能性の向上が図られました。
特に、ジョイストスラブの形状そのものを空調システムに活用する工夫が行われています。 ジョイストスラブのリブ間を空調空気の搬送路として利用することで、天井内に大きなダクトスペースを設ける必要がなくなったのです。

石黒さんは、「ジョイストスラブという構造的な特徴を活かしながら、これからも永く建物を使い続けるために、オフィスとしての機能性と快適性の向上、今日化を目指しました。また利用者である海員組合が、建物の構造や建物へ込められた思想を理解することで、建物に対する理解と愛着が増し、これからも永く建物を使いたいと思ってもらえることを期待しました。」と語ります。

エントランス、展示室、サンクンガーデン 失われた空間を取り戻す

▲1階エントランス

1階エントランスでは水平に伸びる庇や吹抜け空間が来館者を迎えます。
地下へ向かう視線の抜けは、大髙正人が意図した空間体験のひとつです。

今回の改修を象徴する空間がサンクンガーデンです。
竣工後の増築によって失われていたこの空間は、増築部分を撤去することで復原されました。

写真奥、かつて清掃員控室だった空間は展示室として再生されました。
海員組合の歴史や海運文化を紹介する場として、新たな役割を担っています。

地下大会議室と図書資料室

見学会の最後に戻ってきたのは、本部会館を象徴する地下大会議室です。
一見すると地下空間とは思えないほど開放的なこの空間は、大髙正人が本部会館を設計する際に特に力を注いだ場所のひとつでした。

海員組合は国際的な船員組織との交流も盛んであり、地下大会議室には国際会議の開催も視野に入れた機能が求められていました。
そのため大会議室は、大人数の会議や講演会だけでなく、国内外の関係者が集う交流の場として計画されています。
地下にありながら閉塞感を感じさせないのは、東側に設けられたサンクンガーデンの存在が大きく影響しています。

ガラス越しにサンクンガーデンへ視線が抜けることで、自然光や緑を感じられる空間となっており、地下であることを忘れさせるような開放感を生み出しています。

石黒さんは、「大髙さんはこの地下大会議室を閉じた空間として考えず、サンクンガーデンを介して都市とつながる場所として設計したんだと思います」と説明しました。

今回の改修では、この大会議室も保存・復原・更新の考え方に基づいて再生されています。
特徴的な天井の照明計画は改修前に3Dスキャンにより計測し、丁寧に復原されました。
さらに現代の利用に対応するため、新たな機能も加えられています。
そのひとつが、小松ウオール工業の移動間仕切の導入です。
間仕切を開放すると、ホワイエや周辺空間と一体となった大空間が出現します。

講演会やシンポジウム、演奏会など、多様な活動を受け入れることができるようになり、大髙正人が目指した「人々が集い交流する場」としての機能が現代的にアップデートされています。
これは単なる設備更新ではありません。
建築の空間的価値を継承しながら、現代社会に求められる多様な使い方へ対応する「更新」の実践でもあります。

地下2階には図書資料室も整備され、海員組合の歴史や海運文化に関する資料が保存されています。
「図書資料室のジョイストスラブはあえて仕上げず、竣工時のコンクリートの肌と今回の躯体補修の跡を残す判断をしました。改修前には無い、新しい機能として計画された図書資料室は、建物の歴史・時間を継承する、建物自身が生きた資料であることを表した場所となっています。子ども向けの絵本や操船シミュレーターなど、多くの子どもたちや地域の方が集うよう計画された図書資料室は、海員組合が先輩から受け継ぎ大事に保管されてきた資料や海員組合の歴史と共に、組合活動を更新しながら継承していく象徴的な場所になったと感じています」という石黒さんの言葉は、このプロジェクトの本質を表していました。

前川國男から大髙正人、そして野沢正光へ

▲佐藤由巳子さん(左)と石黒健太さん(右)

今回の改修プロジェクトから見えてくるのは、建築思想の継承です。
前川國男が日本に根付かせたモダニズム。
大髙正人が発展させた、都市と建築をつなぐ「場」のデザイン。
そして野沢正光建築工房による、建築を使い続けながら未来へ引き継ぐ保存再生。

建物を残すことは、単に古いものを保存することではありません。
そこに蓄積された活動や記憶、そして建築家の思想を未来へ受け継ぐことです。
全日本海員組合本部会館の改修は、その可能性を示す貴重な実践事例であり、今回の建築セミナーは、その思想と手法を学ぶ機会となりました。


建築セミナー企画委員 鏡 晋吾

開催概要

建築セミナー2026 Vol.1 
「保存・復原・更新による近代建築の継承」
日時:2026年6月20日(土)
会場:全日本海員組合本部会館(東京都港区六本木7-15-26)
講師:石黒健太氏(野沢正光建築工房 代表取締役)
主催:小松ウオール工業株式会社
形式:講演+建築見学会